期待

最近よく泣く、異常なくらいに

いつも仕事のことで

 

自分こんなに弱かったか??と思うけど

よく思い出してみればバイトレベルでも、

ストレスを抱えて体を壊したことがあったことを思い出した。

 

そんな状態になるのはどんな時だろう。

 

共通して言えることは、

 

自分にも人にも『期待』を持ちすぎた時。

最近そんな答えに行き着く。

 

きたい

【期待】

《名・ス他》ある人がそれをするのを(他の人が)あてにし、心待ちに待つこと。将来それが実現するように待ち構えること。

 

改めて見てみると、

『心待ち』『あて』『待ち構える』

私がこれまで使ってた期待という言葉のポジティブな意味合いとは少しずれている気がする。

 

できるはず!できて欲しいと思われてるはず!

こう思われてるのになんでできないんだろう申し訳ない、私がこうだったんだからこうなるはずなのになんでできないんだろう。おかしいな。

 

こんなことが多すぎるとパンクしたりストレスになったりしているようだ。

そりゃそうだ。委ねすぎだ。

バイト時代も今も、仕事的な責任のある場面において、やっぱり逃げたくなるところを『期待』という一見良さそうな言葉でくるっとまるめて、それにそぐわない状態になると1人でパニックを起こしていたらしい。

 

よくよく考えたら、3年目のペーペーが会社のために貢献できることなんて限られているし、

その範囲の中で目一杯やってねという多少の期待の中で生きてるだけであってスーパーバリキャリウーマンに今すぐなってほしいと思われているわけではないのだ。

そもそもそんなものを『あて』にするほどうちの会社は小さくはない。

『あて』にされるほど私は大きくない。

 

相手にしてもそうだ

 

収入上げたい契約取りたい同期に負けたくない

キャリアアップしたい上司に褒められたい後輩に好かれたい…

私がそうなんだから実はそう思ってるはず。

なんでこの人たちはそれを出してくれないんだろう?そういう「普通にあるはずの」エネルギーはどこにあるんだろうってずっと思ってた。

なんでうちの部下は普通と違うんだろう。なんでうちの先輩はおかしいんだろう。

 

こんなことばかり考えていた。

 

この人がこうなったらこううまくいくはずなのにと『あて』にしすぎていた。

 

大事に思えば思うほど、相手にも自分と同じ感覚でいてほしいという『期待』してしまう。

みたいなことを思っていたけど、それが行き過ぎたら愚かだってことをやっと自覚した。

 

とある彼氏に

何かトラブルがあったとしても、そのトラブルに対しては真摯に取り組むしかないよ。

あとはどう思われるか、それがどう影響するかは自分に返ってくるだけ。と思えば?

 

と諭された。当たり前じゃん?となるかもだけど私が忘れかけていたことだった。

 

いつも何かあった時、

「この人私のことこう思ってただろうに期待を裏切っちゃっただろうな」

「この場はこんな空気になるはずだったのに私が壊してしまったな」

「この人私がこんな風に思ってるなんて知らないだろうな、本当の気持ち知ってしまったらどうしよう怖いな」

なみたいなことばっかり考えて落ち込んでいた。

 

自分が取り組んだ行動が自分に返ってくるだけ。みんなも自分のためにした行動がみんなのために返ってくるだけ。

そんなみんなの『自分のため』を見つけたりサポートできたり応援する人になりたいな。

 

やりがいは自分のためと人のため。

『期待』という一見希望に見えるものに飲み込まれすぎないで、よくよく自分とそして相手と向き合っていこう。

 

深夜に長々と…でもハッとしたことだったので記録用も兼ねて綴りました。