わたしとMr.Childrenの話
実は最近、このわたしが、Mr.Childrenを熱心に聴くことができなくなっていた
理由はたぶんあまりにも美しくて、真摯で、誠実で、あまりにもフィクションで、嘘で、逃避で、あまりにも思い出で、現在で、未来で、あまりにも自分で、相手で、誰でもなかったから
共に生きてきたなんて言うと大袈裟で安っぽいけど、本当にそうなのかもしれない
シャッフルで飛ばしたことすらも意味を持つくらいこれまでずっとミスチルの音楽と生きてきた
ここ10ヶ月くらいのわたしは、ずっとモヤモヤしていて、世の中に心底うんざりしていて、自分にもみんなにもどこか嘘をついていて、明日が来るのもたまに怖かった
これまでミスチルを聴いて色々な感情になってきたけど、紐付けられた思い出の後には必ず立ち上がって今なんとか生きているという紛れもない事実が、まっすぐ歩けてない自分を責めて苦しめていたんだと思う
大衆を魅了する言葉選びたちも大衆から外れ者のわたしをちょっと追い詰めていた
ところが、最近のわたしはまた懲りもせずMr.Childrenを聴いている
全部捨ててしまいたい日があったとしても、結局自分がやったこと感じたこと考えたことは絶対ないことにはならないし、出会った人とは出会わなかったことにできないし、発した言葉は無しにならないし、目が覚めて次の日にはそれありきの自分に生まれ変わっているし、だったら一旦まるっと受け入れるしかないなあ
とか思ったからかもしれない
改めて聴いてみたら一喜一憂していた自分ではなく死ぬほどしんどくて泣き出しそうな今日でも冷静に『ミスチルいいじゃんやっぱり』とか思いながらボーッとバスに揺られたりできた
でも、こんなに偉そうに話しているけど、
今日だっていつかまたミスチルが聴けなくなった日的にはどうせ【ミスチル聴きながら生きていた今日】になるんだろうな
あぁ世界は素晴らしい!!!