備忘録

マスクを外して舞台に立ったのはいつぶりだろう

 

声がすーって前に飛んでいく感覚、気持ちいいけどちょっと怖くて、たった2年だけどもう2年なんだなと思った

 

1年ぶりの夏のコンクールは誰が誰やらわからない状態で気がついたら終わっていた

入団してくれても軽い自己紹介だけ、練習の休憩時間もどこか静かでやっぱり中々新しい人はなかなか定着しない

毎週律儀に練習に参加してる身としてはちょっとモヤモヤしてた

 

知ってる人がたくさんいたとは言え、私にとっても新しい団の門を叩くのはとてもとても勇気のいることだったから、

参加するだけでもハードル高いのそこで声を出して歌うだなんて

もしかしたらそんな行為自体信じられないと思う人もいるかもしれない

 

歌えばみんな友達さとはいうけど、こと合唱に関してはそんなに甘くないなと思ったりもする

 

やっぱり全ての物事が100%1つのもので成り立ってることってなくて、歌で友達になろうと思ったらこの人こんな人なのかなあって知らないといけない、こんな人なのかなあと分かったらそれを音楽でぶつけ合わなければいけない

 

こんなにも人間関係が完成に影響する芸術ってあるの?って感じだ

 

特にぽっきりはその音楽と人のバランスが人の方にかなり寄ってる団体だからそれが魅力な団体だから、完全に調子を崩していたわけである

 

と、偉そうに語っているけれど私はずっとぽっきりとある一定の距離を置いていた

正確には置いていたつもりだった

 

ユースが楽しくて、混声いいなー友達もいるし〜くらいの気持ちで入った(んだ自分はと言い聞かせていた)

指揮者にほぼ無理やり連れられて〜気がついたら入団してました〜(これは事実だけど)と話していた

私なんぞ数々の伝説には登場してない新参者なので〜と話していた

役員を打診された時も練習毎回いるってだけなんで〜(これも事実だけど)と謙遜していた

 

でも本当は社会人なのに学生みたいなみんなのことが好きだし、もちろん学生は学生をフルマックスで楽しんでいてかわいいし、3年くらい土日はほぼぽっきりの人に遊んでもらってたし、飲み会にはフル出席だし、たくさん勉強させてもらったし、機会もらったし、ソプラノというチャレンジもさせてもらっている

 

全然距離取れてなかった

むしろ超密着濃密だった

ぽっきりのことが好きみたいだった

 

気がつけば点呼お願いしまーすと仕切っていたりだとか新入団員のケアをしていたりだとか立ち位置を考えたりだとか打ち上げの司会までやってもう完全に中核を担ってしまっている

 

きっかけはなんであれ環境がどうであれ多くの人が関わっているコミニティに足を突っ込んでしまっている以上はとにかく自分にできることはやっていかなければな〜と綺麗事だけれどそうやって色んなことを認めてもらえたらいいなと思ってしまった

 

ココロはひそかに思っている

コトバにできないグチャグチャに

言葉が追いつけないハチャメチャに

ほんとのおれがかくれてる

 

ぽっきりにはこんなご時世本当に似合わなくて、すり合わせにめちゃくちゃ時間がかかったけれど結果完全に世を受け入れもせずでも否定してるわけじゃなくて、じゃあこうしましょうという形を見つけて突破して、また進みだした

 

ように、わたしも受け入れるだけじゃなくて気にするだけじゃなくて、自分の気持ちをやりたいことをどうやってやろうかと考えられる人になりたいな

 

コンサート備忘録でした

絶賛絶不調

こんなことになったのは2018年4月以来で

 

あの時は憧れの人に褒めてもらいたくてそれだけで無理しちゃったんだよな

かわいいな当時のわたし

 

大人になればなるほど無理する理由なんてもんはあの頃より全然増えていて、それらをある程度適当にやりこなす力もついている

 

と思ってたけど

 

でも、勢い付いて崩れていくきっかけはほんのちょっとのことだったりするんだね

目の前のことでいっぱいいっぱいになってさ

全然成長してないじゃんねあの頃から

 

しゃかりきで図太くて強欲でズルい女をもっともっともっとできたらいいのに

 

今更、あなたの番です を見ながら

そんなことを思っている

猟奇的だ

かっこよく生きたいのに

私が彼女らに惹きつけられて夢中になったキッカケは去年家に缶詰になって楽しいこと全部封じられてドラマ見返すのにも飽きてYouTubeをぼーーーっと見てたとき

 

これまた大好きなコンビと一緒にロケしながら負けず劣らず巧妙にでも大胆に引くくらい笑いをとりまくっている映像にぶち当たったのが初めてだった

 

楽しそうに、仕事として、好きなこととして、遊んでるように、そして明らかにプロの所業

 

おもろ!と同時に、かっけええええええええええとなった

 

そこから彼女らのこの世に出ていてとりあえず見ることができる映像、音声、文章はほぼたぶん全部網羅した

正直その感性理解できるものもできないものもあったけれどその難解さも余計好きだなと思ったし次も欲しい!と思った

 

そういう意味ではこんなに夢中になれるくらい無駄に時間があってよかったな

 

彼女らのエンタメからは世間の常識をどこか逸脱してる危うさも感じた

 

例えば

 

こんなただの会社員のはずなのに、歯車でしがないイチサラリーマン、の中の営業マンなのにこんな私(たち)でさえも

 

 

見方をされてるなあと感じたことがないとは言えない

こういう主張めいたことあんまり言いたくないけれどもちろんそれを不快に感じたこともあるし悔しくて苛立って泣いたこともある

 

そんなこれまで当たり前にあったような男尊女卑もそれに対して過剰に反応するようなフェミニズムも外から見てワーワー言ってるだけのヤツも全部逆手に取って、いやいやいやただおもろいやつらでおもろいことしようぜ、(それがウチらのやりたいことだから)の姿勢を崩さない

自虐もアンチも風刺もネタに映像に入れ込んじゃってそれを解明することをちゃんと嫌ってふざけながら発信している

 

くそ!!って泣いた日、そんな風に蹴散らせたら良かったのになと思った

 

昨今、私(たち)なんかと比にならないくらいの男社会で生き抜くためにこうしたああしたみたいなトークにもきちんと需要があって、それもそれで面白おかしく伝えてくれる人たちがいて、認めようという流れも流行っているけれどその流行も作られたものかもしれなくて、、、そんなこと考え始めたら普段目にしてるものなんて全部そうだから、グルグルしちゃうな

 

でもそういう生き抜くノウハウとか以上にその方がおもろいからとか、やりたいことだから、とかで暴れたり時に人を傷つけたとしても貫いたり反省もして新しい思考で再スタートできるのかっこいいよ!

やり切るための危うさがあってもそれひっくるめて愛しいよ

 

今の私にはできないなと思う

なんならずっとできないかもなと思う

周りを気にしているようでそう見られてることが気持ちよくて、分かったような口をきくのが得意なこの性格じゃ前衛的な表現には程遠い人生だから

 

いいなって羨ましく思うのかな

 

そんな自分にないエネルギーを代わりに生み出してくれる2人のエンタメをたくさん摂取することでないものねだりをどうにかこうにか抑えているのかな

 

近くにいる人だったら嫉妬とか分からなさでヒリヒリする気持ちを

遠くの憧れで誤魔化しているのかな

 

普段は同性だったら負けた気がして悔しいってなるからそれを異性に求めるのかな

 

もしわたしが私を超えた時

私のことを好きだと言ってくれる人は

どんな反応をするんだろう

 

そんなわたしも好きだと言ってくれるのかな

 

というのは全部嘘で

最近波に乗っているAマッソ様

ただおもしろいから応援したいだけです

心震えた

最近鑑賞して心震えたものたちメモ

 

◎花束みたいな恋をした

鬼才坂元裕二先生が完全にやらかしてた

また今度しっかり感想書いてみようかな

日記みたいな映画だった

麦くんと絹ちゃん、絶対に幸せになってほしい

 

◎どうしたって伝えられないから

aikoの新しいアルバム

恋愛オバケの今が詰まっていた

シングルで先に出てた青空もハニーメモリーもおいおいなんかやばいぞ?とは思ってたけど1アルバム丸ごとそんな感じだった

まっすぐで日常で今日は晴れてましただから君はもういないよねみたいなそんな風に毎日生きててすげえなaikoと思う

ギューーーーーーーっと心臓を絞って握りつぶして殺してくるようなそんなアルバム

 

どんなに好きでも毎日好きって変わるし終わることもあるし始まることもある

反省も後悔もつきものだけどそれも背負ってまた誰かを好きになるのかな

いつ恋することを終わってもいいや

と思えるんだろうか

私も歌を作れたらよかったな〜

 

◎トゲアリトゲナシトゲトゲ

Aマッソ加納さんと3時のヒロインまきちゃんラランド サーヤさんのバラエティ番組が始まった!

なんというかとても都会的な笑いでかなり好きだった

もちろん広島ではやってない(TVerありがとう)

 

女子会って呼ばれるものって実はいつもグータンヌーボみたいにオシャレではないじゃないですか、洒落たサラダばっか食べてるわけじゃないじゃないですか、かと言って酒飲んでaiko歌って闇堕ちするばかりじゃないじゃないですか、馬鹿なことしてふざけて笑ってることの方が多いじゃないですか、ビクドンでハンバーグ食べながら話す時が最高におもろいじゃないですか、信頼があるからこそやっていいいじりってあるじゃないですか

今日のメンツなんか楽しかったな〜みたいな

そんな番組だった

大衆向けだったテレビも視聴者を選べる時代になろうとしてるのね

 

◎大人になってから観る3回目のソラニン

1回目は高校生の時、あさはらと映画館で

アンニュイな雰囲気、歌の良さ、バンドマンの苦悩、、?ってとこまでは分かった

宮崎あおい最高だな〜

 

2回目は大学生の時、家で録画かなんか

大学生ならではのモラトリアム的なものの延長なのかな、、就職するのやだな〜と思った、社会に順応できるかなぁ、馬鹿だったから同棲ちょっといいなとも思った

 

3回目

だるい毎日が続くことを、現状を、飲み込んで生きてかなきゃいけなくて、その中でも大切にしたいものを探してかなきゃいけなくて、見つかったらそれはそれで大切にしなきゃいけなくて、そもそも「そうしなきゃいけない」がプレッシャーで、それでも頑張って生きようって思うこと

今までの自分とさよならしてでも思うこと

を、「大人になる」と言うのだろうか

それもいいさと思えるのはいつになるんだろうか

とか思った

 

ずっと工事中だったひろぎんが完成してポプラが全部ローソンになってわたしは社会人5年目になってどうなりたいんだろう

 

そんなことを考えている

 

素晴らしい作品は人生を豊かにするね

わかんねえ!

思い出の場所とか大事にするタイプですか?

わたしは柄にもなくたぶん大事にしちゃうタイプなんですけど、というか、エピソード記憶が長けているせいでいちいちいろんなことを思い出してしまうのです

 

いつしか家の近くの川沿いの桜を見ながら泣いたことがあって

 

今日そこに立ち寄ってみたらまぁ当たり前に同じ景色で同じ桜の木が立っていて、また同じように泣いてみたけど、同じ場所じゃないみたいに暗くて寒かった、同じように泣いたつもりだけど全然違う涙だった、同じ桜の木なのにもちろん枯れていた

 

思い出の場所、みたいなところに来るたびにたくさんのエピソード、もらった言葉、聞いてた音楽、映像、とかがもうぶわーーーーーって襲ってきて脳を駆け巡る

 

でもどんなに思い出されたってどんなに鮮明だって戻りたくても戻れない戻りたくなくても戻れない

思い出が過ぎたときにはもう違う自分思い出してる自分は思い出の自分ではない

 

浸りたいけど浸れない

染み込みたいけど染み込んじゃだめ

見たくないけど見ないといけない

のは、現実、、、?

 

もう思い出の保存方法がわからない

 

ナマモノ? 要冷蔵?

賞味期限?消費期限?

 

思い出でお腹壊しそうだ、もう

こんな日記の更新頻度が高い時は

去年のこの時期「そうだわたしは人に期待しすぎてたんだ!」みたいなことを書いていたけど、結局同じようなことでまた悩んでいる

 

あの時あんなにこりごりしたはずなのに「今年の抱負はドライに生きるです」とか言って今日も今日とて自らの人への期待に反省しちゃっている

 

キャパがないのに抱えようとして、器がないのに世話を焼いて、無償ではできなくて、むしろ見返り欲しくて、くれよ、くれ、、ア、、ア、、、カオナシ状態なのだ!

あーあなんて恥ずかしい人間なんでしょう

 

誰にも嫌われたくない八方美人のセミプロとして生きて26年目に突入したわけだが、ついにこの期に及んでそんな自分が面倒くさくなってきてしまった

 

みんなが楽しくうまく流れていくことを喜びとしてヘコヘコしてきたわたしの人生ってなんなんだろう

 

それを今喜びと感じることができないのは、自分に余裕がないからなのか、大人になったからなのか、退化しているからなのか、一丁前のプライドが育ったからなのか、、

 

なんだかんだですきだったのにな〜八方美人のスタンス

変わるものと変わらないものちょうど間で生きていたいよ

 

ま、こんな日記の更新頻度が高い時なんてロクな精神状態じゃないからさ

 

また言ってんなと遠目で見てよ

わたしとMr.Childrenの話

実は最近、このわたしが、Mr.Childrenを熱心に聴くことができなくなっていた

 

理由はたぶんあまりにも美しくて、真摯で、誠実で、あまりにもフィクションで、嘘で、逃避で、あまりにも思い出で、現在で、未来で、あまりにも自分で、相手で、誰でもなかったから

 

共に生きてきたなんて言うと大袈裟で安っぽいけど、本当にそうなのかもしれない

 

シャッフルで飛ばしたことすらも意味を持つくらいこれまでずっとミスチルの音楽と生きてきた

 

ここ10ヶ月くらいのわたしは、ずっとモヤモヤしていて、世の中に心底うんざりしていて、自分にもみんなにもどこか嘘をついていて、明日が来るのもたまに怖かった

 

これまでミスチルを聴いて色々な感情になってきたけど、紐付けられた思い出の後には必ず立ち上がって今なんとか生きているという紛れもない事実が、まっすぐ歩けてない自分を責めて苦しめていたんだと思う

 

大衆を魅了する言葉選びたちも大衆から外れ者のわたしをちょっと追い詰めていた

 

ところが、最近のわたしはまた懲りもせずMr.Childrenを聴いている

 

全部捨ててしまいたい日があったとしても、結局自分がやったこと感じたこと考えたことは絶対ないことにはならないし、出会った人とは出会わなかったことにできないし、発した言葉は無しにならないし、目が覚めて次の日にはそれありきの自分に生まれ変わっているし、だったら一旦まるっと受け入れるしかないなあ

 

とか思ったからかもしれない

 

改めて聴いてみたら一喜一憂していた自分ではなく死ぬほどしんどくて泣き出しそうな今日でも冷静に『ミスチルいいじゃんやっぱり』とか思いながらボーッとバスに揺られたりできた

 

でも、こんなに偉そうに話しているけど、

今日だっていつかまたミスチルが聴けなくなった日的にはどうせ【ミスチル聴きながら生きていた今日】になるんだろうな

 

あぁ世界は素晴らしい!!!